いよいよカエサルがルビコン川を越えて旧体制との内戦に突入します。有名な「犀は投げられた」とカエサルが言ったといわれている場面です。ちなみにルビコン川は当時、ローマ本国と属州の境と定められていて、属州総督であったカエサルが軍団を率いてルビコンを越えることは国法を犯すことになり、そのことは「古いローマ」への反逆、内乱、もっと言えば、共和政から帝政(実際に帝政の形式が整ったのはカエサル没後)への第一歩であったことから、「ルビコン川」が象徴的に取り扱われています。
ローマ人の物語5 ユリウス・カエサル ルビコン以後
引用元「ローマ人の物語5 ユリウス・カエサル ルビコン以後」
- 人間は、気落ちしているときにお前の責任ではないと言われると、ついほっとして、そうなんだ、おれの責任ではなかったのだ、と思ってしまうものである。こう思ってしまうと、再起に必要なエネルギーを自己生産することが困難になる。
- 戦闘は激動なのだ。ゆえに戦場では、すべてが激動的に成されねばならない。(アレクサンドロス)
- 孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償とでも考えたのかと思うほどに、一生ついてまわる宿命である。
- 宗教は、それを信じない人々に対しては、「行動原則の正し手」とはなりえない。哲学は、それを理解できるだけの知力のない人々に対しては、影響力をふるえない。(中略)だが法律はちがう。法律とは、宗教を異にし哲学に無関心な人々でも、人間社会に生きていくのに必要なルールであるからだ。
- 自分にある種の才能が欠けていてもそれ自体では不利ではなく、欠けている才能を代行できる者との協力体制さえ確立すればよい(以下略)
- 戦士で富はつくれるが、富では戦士はつくれない。
(1)そう考えたカエサルは、ある戦いの敗戦の責任を指揮官である自分ではなく、兵士にあると明言したそうです。その結果兵士達は奮起し、次の戦いに勝利をもたらしました。一般的には会社の業績悪化の責任はその経営者にあると考えられています。たとえ問題がある従業員がいたとしても、そういう状態を放置していたことが経営者の責任であるからです。そういう考えが主流の中、過去には日本のある大手企業では経営者が「働かない社員が悪い」と発言し、無責任な経営者の代表格のような言われ方をしていました。その経営者にカエサルのような深い考えがあったかは分かりません。おそらく無かったでしょう。たとえ有ったとしても、兵士の奮起を呼び起こしたカエサルと、その経営者では組織の構成員(従業員や兵士など)からの信頼や尊敬の程度が大きく異なっていた結果、一方のカエサルは偉大な功績を残し、もう一方のその経営者は批判されることになったと考えられます(ただし、世間一般からの反発は新聞等で大きく取り上げられましたが、社内での反応が実際にどうだったかは私には分かりません)。歴史上の偉人の考え・行動・発言は大変勉強になりますが、上記の事例は、歴史上の教訓も使う場面や環境を間違うと全く違った結果をもたらす好事例といえます。
(2)スタートアップの経営は激動です。新規事業の立ち上げも激動でしょう。であれば、その全てが激動的に行わなければ結果につながらないのだと思います。
(3)経営者は孤独と言いますが、何かを創る人々に共通することなのでしょうか。
(4)この一文でローマで法律が発展し、その後の世界史に大きな影響を与えた理由のひとつが良く分かります。ローマという国家の特徴として、その構成員の多様性が挙げられます。そしてその多様性を支えたのが法律という制度と寛容さだと言われています。多様性という言葉は少し前から経営の重要キーワードのひとつでもありますがそれを実現して企業価値を向上させることに苦戦している企業も多いようです。ローマの歴史を学ぶことはその解決の糸口になるかもしれません。
(5)スタートアップの経営者は経営に必要な全ての能力を兼ね備えている必要はなく、営業が苦手なら営業が出来る人財を、技術が苦手なら技術が分かる人財を活かす能力、またそういった人財を魅了する能力があれば十分なのだ、と言われています。また、社内で一番業務経験が豊富な経営者の存在が後継者が育ちにくい主因となってしまい事業承継の妨げとなるという事例も少なくありません。そういったことから考えると、組織のトップは万能である必要はないというだけではなく、万能と見られてはならないということなのかもしれません。
(6)同様に、スタートアップの仲間はキャッシュを生み出せるが、キャッシュでは本当の仲間は得られない、ということですね。